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東京高等裁判所 昭和42年(う)1352号 判決 1973年1月16日

主文

原判決を破棄する。

被告人畠山嘉克、同吉田英一郎を各懲役三月に処する。

ただし右被告人両名に対し本裁判確定の日より二年間右各刑の執行を猶予する。

被告人有賀哲也を罰金二万円に処する。

被告人有賀哲也において右罰金を完納することができない時は金五〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官提出にかかる東京地方検察庁検察官検事河井信太郎名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する弁護人の答弁は、弁護人杉本昌純提出の答弁書記載のとおりであるから、いずれもこれをここに引用する。これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

検察官の控訴趣意について。

所論は、要するに、原判決は、被告人畠山、同有賀に対する昭和二五年東京都条例第四四号「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例」(以下単に都条例又は本条例と略称する。)違反罪の本件公訴事実と被告人吉田に対する公務執行妨害罪の本件公訴事実に対して、本件各公訴事実における、東京都公安委員会(以下単に公安委員会と略称する。)が、被告人畠山及び同有賀並びに同吉田が参加した本件各集団示威運動の各許可申請についてなした、交通秩序維持に関する事項の各条件付許可処分は、処分の内容及び手続のいずれも憲法二一条に違反し違憲無効であり、魚の点において既に、被告人畠山、同有賀が右条件に違反する集団示威運動を指導したとの点は、罪とならないし、右被告人両名に対し無罪を言い渡し、また、被告人吉田に対しては、右違憲の条件に反する集団示威運動に参加した同被告人に対する松山巡査らの機動隊員による圧縮並びに併進規制は、適法な公務の執行ということができないから、被告人吉田の同巡査に対する暴行は、公務執行妨害罪とはならず、暴行罪が成立するに過ぎないと認定判示し、そして、原判決が、本件各条件付許可処分はその内容及び手続においていずれも違憲無効であるとした理由について、これを要約すると、本条例に基づく公安委員会の集団行動についての許可処分の権限は、大幅に警視庁警備部長以下の警察官に委任され、しかも警視庁警備部警備課集会係においては、闇の手続ともいうべき事前折衝が行なわれ、そこでは国会周辺の集団示威運動を禁止するという方針の下に、集団行進と集団示威運動とを峻別し、国会の周辺では示威の要素を全く抜き去つた集団行進として許可するという前提で勧告がなされ、右勧告が、実質上進路変更を条件とする許可処分、或は不許可処分をする役割を果たしており、しかも許可処分については、あらゆる事項にわたり条件が付与され、これが機動隊の実力規制の根拠となり、また刑罰につながることになつており、これら一連の都条例の運用の実体は、表現の自由の事前抑制としての必要最少限度の域を超え、その運用の一環である本件各条件付許可処分は憲法二一条に違反するというのである。しかしながら、右のような原判決の判断は、明らかに前提事実を誤認し、その結果法令の解釈、適用を誤つたものであるのみならず、ほしいままに法令を解釈してその適用を誤つたものである。原判決における以上の非違は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決を破棄の上、適正な判決を求めるというに帰する。

よつて、按ずるに、原判決は、都条例が憲法二一条に違反しないとした昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷判決の見解に一応従いながらも、同判決が「もつとも本条例といえども、その運用の如何によつては、憲法二一条の保障する表現の自由を侵す危険を絶対に包蔵しないとはいえない。条例の運用にあたる公安委員会が権限を濫用し、公共の安寧の保持を口実にして、平穏で秩序ある集団行動まで抑圧することのないよう極力戒心すべきこともちろんである。しかし濫用の虞があり得るからといつて、本条例を違憲とすることは失当である。」と判示し、本条例の運用が濫用にわたらないよう強く戒めている点を捉え、都条例の運用の実態について詳細認定判示した上、「本件審理を通じて明らかにされた(公安委員会の都条例に関する)事務処理の実態は、いわゆる事前折衝という闇の手続をも含めて、コースの一部変更や警視庁独自の考案にかかる「集団行進」という概念の設定と、この枠にはめこむことによる集団行動の実質的空虚化、集団示威運動に対するおびただしい条件の付与等等、集団行動における表現の自由がいちじるしく制限される許可制が行われているのであつて、とうてい届出制に近似するものとはいえない。しかも交通秩序維持の必要ありとして付せられる条件の違反は、すべて集団行動自体の実力規制に直結し、刑罰につながるものである。このような許可制は、むしろ一般的禁止の解除として機能しており、かかる運用体制ができあがつていて、個々の条件付許可処分は、その具体的適用として行われているものと断ぜざるを得ない。」と述べ、「以上を要するに、条件付許可処分に関する都公安委員会の運用は、総括的にみて、手続及び内容において著しく取締の便宜に傾斜し、憲法の保障する集団行動としての表現の自由を事前に抑制するものとして最少限度の域を超えており、かかる運用の一環として流出したともいうべき本件条件付許可処分は憲法二一条に違反してその瑕疵が重大かつ明白であつて、違憲無効である。」と結論し、更に「本件において無罪となつた被告人畠山、同有賀の行為も条件違反のだ行進を指導した点に関しては、もし都条例の運用が本条例の精神に適合し本件条件付許可処分が適正になされていたとすれば、有罪を認定すべき事案であり、当裁判所は両被告人のかかる行為までも是認するものでないことを付言せねばならない。」と述べているのである。

右によれば、原判決は、本条例の運用一般にからませて本件各条件付許可処分の違憲性を導き出していることが明らかである。しかしながら、司法裁判所の違憲審査権は、一定の事件性(本件においては、公訴事実の訴因に記載された具体的な犯罪事実)を前提として、これに適用される特定の法令或は具体的処分が合憲か違憲かを判断すべきものであつて、法令の運用一般或はその運用の実態を憲法判断の対象とすべきではなく、ただ特定の運用法令は具体的処分についての憲法判断に当り、その補助事実として、法令運用の実態が考慮されるに止まるべきである、と解するのが相当である。

さらにまた、本件記録中の上本雅之と渕上保美の各作成にかかる集会、集団行進、集団示威運動許可申請書及びこれに対する公安委員会名義の各条件付許可書謄本によれば、本件の昭和四〇年一一月一三日昼(被告人畠山、同有賀関係のもの)と夜(被告人吉田関係のもの)に行われた各集団行動については、東京都新宿区霞ケ丘町明治公園から港区青山四丁目、同一丁目、同区赤坂見附の各交差点を経て千代田区永田町小学校裏に至る間の道路上は集団示威運動として、さらに右小学校裏から同区参議院議員面会所前、同区衆議院議員面会所前、同衆議院通用門前、同衆議院南通用門前、同区大蔵省裏を経て同区日比谷公園西幸門に至る道路上は集団行進として許可申請がなされ、それぞれ条件が付されて許可がなされていることが認められるが、本件各公訴事実において問題とされているのは、前者の集団示威運動として許可された道路上における許可条件違反の行為であり、後者の集団行進として許可された道路上、特に国会周辺の道路上における許可条件違反の行為ではないのであつて(尤も、被告人畠山、同有賀関係の起訴状の公訴事実においては「さらに右永田町小学校裏から同区参議院議員面会所前、同区衆議員面会所前、同衆議院通用門前、同衆議院南通用門前、同区大蔵省裏を経て同区日比谷公園西幸門に至る間の道路上において行われた集団行進に(云々)」と記載されているが、原審第一回公判において、検察官は、右は、被告人畠山、同有賀が指導した集団示威運動の、爾後における流れを事情として記載したものであつて、特に深い法律的意味のあるものではないと釈明している。)、従つて後者の集団行進についての許可処分自体或はその許可条件の合憲、違憲の問題、特に国会開会中における国会周辺道路上の集団示威運動を許可しないことが違憲なりや否の問題は、本件で起訴の対象とされている集団示威運動についての各条件付許可処分の効力に影響を及ぼすとは考えられないのであるから、本件事案の解決については、これを論議することが全く無用であることに注意すべきである。

以上の当裁判所の見解の下に、以下検察官の所論に鑑み原判決を検討する。なお、当裁判所においても都条例が憲法二一条に違反しないとする前掲大法廷判決の判断に従うものであることは勿論である。

第一本条例運用に関する問題点について。

一、権限委任について。

警察法三八条三項、四四条、四五条によれば、公安委員会が内部的事務処理規定を定めて、警視総監以下の警察官にその事務を処理させること、本件についていえば、本条例に基く許可処分(条件の付与を含めて)の事務を処理させることは、本条例がその事務を公安委員会の権限に委ねている趣旨に反しない限り、許容されるといわねばならない。

原審証人山田英雄、同茂垣之吉の各証言、当審証人土田国保の証言(ただし、被告人吉田関係では、供述記載である。以下同じ。)、東京都公安委員会の権限に属する事務処理に関する規程(抜抄。昭和三一年一〇月二五日都公安委規程四号)、東京都公安委員会の権限に属する事務の部長等の事務処理に関する規程(抜抄。昭和三一年一〇月二五日訓令甲一九号)、集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例の取扱いについて(昭和三五年一月八日東京都公安委員会決定)、集会、集団行進及び集団示威運動にする条例の取扱いについて(昭和三五年一月二八日警視総監通達甲(備備三)第一号)を綜合すれば、公安委員会は非常勤の委員をもつて構成されており、その権限とされる事務量は極めて多く、原判決においても、公安委員会の権限とされている許可事務は、道路交通法等多数の法令により年間約五十万件に及び、本条例に基く集会、集団行進、集団示威運動(以下集団行動という)に関する許可申請事務も年間五千件に及んでいると認定している位であり、しかも、集団行動の許可手続は四八時間以内に迅速に行なわなければならないため、この事務処理の能率化、迅速化を図るべく、公安委員会においては、その取扱う集団行動に関する事務の中、重要特異な事項として、(1)集団行動の申請に対する不許可処分(本条例三条一項本文)、(2)申請にかかる集団行動の進路、場所、日時の変更を伴う処分(同条一項六号)、(3)許可の取消処分、許可条件の変更処分(同条三項、(4)メーデー等の一〇万人を超える大規模な集団示威運動の許可処分の四個を指定し、この重要特異な事項については公安委員会が自ら直裁処理することとし、右以外の集団行動の許可処分及びその際の条件付与については、下級機関である警視総監にその事務処理についての決裁の権限を与え、さらに、警視総監は、右のうち、軽易な集会の許可処分は警察署長に、その他はすべて警視庁警備部長にその事務処理についての決裁の権限を与えており、その事務処理は、すべて公安委員会の名義をもつて行わせ、その結果は毎月とりまとめて公安委員会に報告させ、その承認を受けさせることにしていること、そして、本件各条件付許可処分は、右警備部長の権限によつてなされたものであることが認められる。

ところで原判決は、「重要特異なものかどうかの判断的事務を第一次的に警察官に行わせることになり、いわんや許可を行うにあたりそれに伴つて付する条件の具体的内容については、これをすべて警視庁警備部長以下の裁量に委ねているのであつて、この点は大いに問題である。そもそもかかる条件は、正に犯罪の構成要件そのものなのであり、かつ、警視総監が本条例四条に基づき即時強制を執行する要件でもある。道路における集団示威運動に対する条件付与は、それを警視庁警備部長が公安委員会の名において行つているということができ、条件付与に関するかぎり、公安委員会は、これを事後的に報告を受けて承認しているに過ぎない。」(原判決書三七頁、三八頁)と述べ、警察官が許可処分或は条件付与に関与することを非難している。しかしながら、無条件の許可処分である場合には、許可を原則とする本条例の趣旨に添う事務処理であるから、なんら表現の自由を制限することにならないことが明らかである。また条件付の許可処分である場合でも、前記三証人の各証言によれば、警察官の付与する条件は、公安委員会が前記の重要特異な事項にあたる集団行動を直裁する場合の許可処分に付与される条件と殆んど同じもので定型化されたものであることが認められるばかりでなく、前記当審証人土田国保の証言によれば、警視庁警備部長は、前記重要特異なものに該当しない事案についても、隔週金曜日に定例的に開かれる公安委員会に必ず出席し、その際事前情報等によつて判明している爾後一週間ないし二週間分の集団行動の予定を委員会に報告するとともに、それらの集団行動の取扱い方、すなわち、その許可の処分並びにこれに付与する条件の内容について各個に内示を受け、その方針に従つて処理していることが認められる。してみれば、原判決が許可条件の具体的内容については、専ら警視庁警備部長以下の警察官の裁量に委ねられているとして問題視しているのは、当らないというべきである。また、前記の重要特異か否かの判断的事務を第一次的に警察官をして行なわせるという点についても、前記の重要特異な事項はそれ自体明らかであるばかりでなく、若し重要特異な事項ではないのに、それに該当すると判断した場合には、直接公安委員会の判断を受けるのであるから、問題とする余地はなく、逆に重要特異な事項であるのにそれに該当しないと判断したとしても、それは許可されるのであつて、申請者にとつて利益な処分であり、しかもこれに条件が付与されるとしても、その条件は、前述のように定型化されたものであるから、前同様本条例の趣旨に反せず、ことさら問題とすべき余地はないというべきである。これを要するに、公安委員会が直裁する前記の重要特異の事項以外の集団行動の許可処分(条件付与を含めて。但し警察署長の処理する集会の許可処分を除く。)について、警視庁警備部長以下の警察官がその事務処理に当たり、同部長において公安委員会の名義をもつてこれが許可処分をしていることは、本条例が、集団行動の許可、不許可の権限を公安委員会に委ねた趣旨に反するものとはいえない。

次に、原判決は、前記公安委員会決定及び警視総監通達は、都条例三条一項本文にいう「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」とは、「(1)交通頻繁な道路において実施の時間、場所または方法により交通が著しく混乱することが明らかなとき、(2)実施の時間、場所または方法により国会の審議権の行使、裁判所の公判その他官公庁の事務(外国公館の執務を含む)が著しく阻害されることが明らかなとき、(3)実施の時間、場所または方法により人の生命、身体に危険がおよびまたは安穏正常な社会生活が著しくかく乱されることが明らかなとき」をいうとの解釈基準を示しているが、右の三つの項目中の「著しい」かどうか、「明らかなとき」か否かの判断は、取締りの衝に当たる警視庁警備部長以下の警察官によつて事実上判断されるから、結局「著しい」とか「明らかなとき」という右文言は、実際の運用においては明確な規範性を持ちえない旨判示している。(原判決書四〇、四一頁)

しかしながら、右の「著しい」とか「明らかなとき」というのは、それ自体社会通念上も容易に理解可能な用語として、十分に明確な限定的修飾の機能を果していると認められるし、かかる用語は、ひとり前記公安委員会決定が使用しているばかりでなく、他の法令においても同一ないし類似の文言を使用した規定が多々存在することに徴すれば、実際の運用面において明確な規範性をもち得ないということはできない。いわんや、右三項目は、集団行動の不許可の場合の基準であり(このことは、原判決自身もそのように判示している。)、そして不許可処分は公安委員会の直裁にかかるものであることは、前記説明のとおりであつて、これらの判断は、原判決が述べているように、警察官によつて事実上なされるのではなく、公安委員会が自ら行うものであるから、原判決の右判示は明らかに誤解に基くものというの外はない。

二、事前折衝について。

原判決は、「集団行動の許可申請を求める者は、警察署の窓口係員からあらかじめ警視庁警備部警備課集会係員と予定する申請内容について了解を得るように促され、或は右集会係の了解がないと受理を渋る向きがあるため、集会係員と申請内容について事前に折衝することがあり、集会係としても四八時間以内にいかなる重要な案件をも処理しなければならず、また公安委員会は極めて多忙であるところから、許可や警備の所掌事務の円滑な処理のため、右折衝を必要とする」旨判示しながら(原判決書一九、二〇頁)、処他面において、これを「闇の手続」と呼び(原判決書五二頁)、更に、「問題となる折衝の内容は、主として道路における集団示威運動の予定進路が開会中の国会周辺道路、外国公館周辺道路を含むか、或は特に交通量の著しく多い、例えば晴海通りを含む如き場合であり、自主的に進路を変更するか、集団行進に切りかえて示威をしないものにすることを勧告し、それには公安委員会の前示決定や昭和三八年一二月六日の決定(当分の間、学生デモの外務省前通過を許可しない)、個々の進路の一部を変更して許可した前例及び前示警視総監通達などが引き合いに出されるのである。右は、許可申請書提出以前のいわゆる「行政相談」であり「申請者側の自主的変更」といわれるものであるが、実質において公安委員会の正式な不許可処分もしくは進路変更を条件とする許可処分の役割りを果し、しかもそれが公安委員会名の許可書からは、形式上不許可もしくは一部変更処分の形をとつて表面化しないから、法律上の処分として争う余地はなく、都条例三条四項による東京都議会への報告も行なわれず議会による批判にさらされることもない。その上、右折衝に応じないで、許可申請書を所管警察署に提出することはもとより自由で、受理されるけれども、その後行動開始予定日時の二四時間以内に主催者が、参加予定団体に対し、公安委員会から不許可もしくは進路変更を条件とする許可処分のあつたことを周知徹底することは容易でなく結局集会係側の勧告に従つた申請をするよう計画を変更し、あらかじめ不許可等に伴う参加予定団体とこれを規制する警察官との紛争混乱を避けることとなるに至る」(原判決書二一ないし二三頁)と述べ、また「警視総監通達による集団行進と集団示威運動の概念規定に従つた許可条件の付与が「行政相談」ないし「事前折衝」という名の事前抑制の場において、国会周辺等における集団示威運動を禁止するという運用に役立てられている事実はおおうべくもない。」(原判決書三七、三八頁)と述べ、更に「本件の条件付許可処分については、渕上保美(原潜阻止、日韓条約紛砕全国実行委員会事務局次長)は、本件集会等の許可申請につき、一一月九日をはじめ、殆んど連日にわたる集団行動の許可申請を一括して、警視庁警備部警備課集会係長茂垣之吉ら係官と前示事前折衝を行ない、赤坂見附交差点を経て国会周辺道路を通り日比谷公園に至る区間の集団示威運動を、結局集団行進による国会請願に変更することを余儀なくされた」旨(原判決書二三頁、二四頁)判示している。

そこで按ずるに、前記三証人の証言、原審証人佐竹昭生、同清宮五郎、証人渕上保美の東京地方裁判所刑事二六部における証人尋問調書を綜合すれば、集団行動の主催者は、その七二時間前に、所要の事項を記載した許可申請書三通を開催地を管轄する警察署に提出すれば、本条例上の義務を果たしたことになる訳であるが、若干規模の大きい集団行動については、右許可書を提出する以前に、主催者側において、集団行動の企画が決ると、警視庁警備部警備課に赴き、同課の集会係に対し、右企図を説明し、これに対し集会係も要望を出して双方の了解が成立した場合には、主催者側は同所に備付けてある申請書用紙に所要事項を記載し、これを所轄の警察署に提出することがあり、この集会係との折衝がいわゆる事前折衝と呼ばれているのであつて、昭和四〇年において、許可された集団示威運動の一二七七件のうち、一八〇件について事前折衝が行われたこと、事前折衝の際の主催者の企画の具体化の程度については、集団行動の進路、時間、参加予定人員等につき、いまだ明確な方針が定つていないものから、既に所要事項を記入した用紙を持参するものもあること、集会係においては、予定進路の交通事情、道路工事の状況等を説明して円滑に行進ができるよう助言を与え、他の集団行動と競合する場合には、これを避けるため事前の調整をし、或は、交通整理、警備警戒計画を立案するため事前の調整をし、或は、交通整理、警備戒計画を立案する必要等から、集団行動の参加人員、要人参加の有無等を任意に確める外、国会周辺等の集団示威運動を予定する主催者側に対しては、「開会中の国会周辺道路及びアメリカ大使館付近の道路での集団示威運動は許可しない」「国会議事堂が道路によつて囲まれる三角形の三辺のうち、二辺以上を通る集団行進は許可しない」との公安委員会の方針を説明し、できるだけ不許可処分ないし進路、日時等の変更処分を受けないよう申請者側の了解を求め、その自主的変更を要望すること、他方申請者側としては、申請書を直接所轄警察署に提出しても、それは申請書を公安委員会に提出するための窓口機関に過ぎず、所轄警察署において右警備課集会係の了解があるかどうかを確められ、了解済でないと受理を渋る傾向があるし、事前折衝をして了解がつけば、その段階で確実に許可されることを知り得るに反し、折衝を経ないで申請書を提出すると、公安委員会から不許可処分或は進路、日時等の変更処分を受ける虞があり、それが集団行動の予定日時の二四時間前であつても、これを参加予定者に周知徹底することは容易でなく、主催者の責任問題となる場合もあるから、右のような不利益処分を受ける以前に事前折衝をして、申請者側の要望を述べ、できるだけこれに近い線で了解に達するものであること等を認定することができる。

右認定によれば、事前折衝には、相談的、助言的、勧告的の色色の態様があるし、また許可申請前ではあるが一種の聴問の機能をも持つていると解されるが、いずれにしてもいわゆる行政指導の意味をもつものであつて、その性格は、公権力に基づく法的行為ではなく、事実行為又は事実的活動であると考えられる。そして、この事前折衝がなされた場合においても、申請者に対し強要的、威圧的にではなく任意的になされ、しかも申請者に対し、前記勧告、要望に応じないで当初の希望通りの内容の許可申請書を所轄警察署に提出する自由と、右申請書が受理される保障とが残されている限り、右事前折衝を目して、事前抑制として働くものであつて、憲法の趣旨に反するものであるということはできないと考える。そして、本件記録中の「公安条例の条件によりデモコースの一部を変更した事例」と題する書面によれば、昭和四〇年中に事前折衝を行なわずに許可申請書が提出され、公安委員会が進路変更の処分をしたものが五件、事前折衝が行なわれたが、それがまとまらないで主催者の計画通りの許可申請書が提出され、同じく進路変更の処分がなされたものが七件あることが認められるのであつて、これによつても前記の申請書提出の自由と受理が保障されていることが明らかであるから、右事前折衝を違憲、違法視するのは当らないというべきである。

原判決は、右事前折衝を「闇の手続」であると非難しているのであるが、なるほど事前折衝については本条例上何ら明文の規定はないけれども、原審証人茂垣之吉、当審証人土田国保の各証言によれば、右事前折衝は、昭和三一年一〇月の前記公安委員会規程四号、訓令甲一九号等によつて、警視庁警備部長に対し前記権限が与えられた以前から行われており、しかも公安委員会の直裁に属するメーデー等の大規模な集団行動についてもこれが行なわれていることが認められるから、本来は警備部長の右権限に基づくものではないと解されるし、また警視庁の組織上の権限分配を定めた昭和二九年七月一日都公安委員会規程三号、警視庁組織規則(東京都公報に告示されている。)六二条(後に全面改正後は二三条)により、「集会、集団行進及び集団示威運動の許可取扱いに関すること」が警備課の所掌事務とされていることが明らかであるから、警備課は、右規定に基づき、公安委員会の補助機関として、その事務処理を補助し、その事務に関連して右の事前折衝を行つているものと認められ、このように組織上の権限の範囲内で行う事務について、行政指導ないし行政相談の意味で折衝を行い、交渉の相手方に対し、その自主性を損うことなく、強制、威圧的にわたるようなことがなければ、明文の根拠規定が存在しないからといつて、これを「闇の手続」といつて違法視するのは相当でないというべきである。

次に、本件各条件付許可処分における事前折衝の経過について考察するに、原審証人茂垣之吉、同山田英雄、当審証人土田国保の各証言によれば、本件一一月一三日の集団行動については、谷木某(総評中央オルグで、原潜阻止、日韓条約粉砕全国実行委員会事務局員)と上本雅之(同委員会書記)の二人が、一一月一日警視庁警備部警備課集会係を訪れ、「日韓批准国会もピーク時になつたから、我々としては集団行動の路線を確保したいから、一一月六日から一四日までの連日昼夜二回宛の申請をしたい」といつて、既に主催者側で作成してきた一一月六日から一四日にわたる一四件の許可申請書を持参の上、申入れをしたところ、集会係員が「今のところ他から申請がないので結構でしよう」と答えたので、申請書の記載洩れ等の不備の点を補正した後、これを所轄の丸の内警察署へ一括提出したこと(ちなみに、本件の一三日の分は、昼と夜のいずれも会場は日比谷公園であり、日比谷公園を出て霞ケ関交番前、大蔵省交差点、国会の南道左折、通用門右折、参議院第二通用門前左折、永田町小学校裏までは集団行進として、同小学校裏から永田町交番前、日英自動車前左折、溜池、虎ノ門、西新橋一丁目、土橋、数寄屋橋経由の国労会館前に至るまでは集団示威運動としての申請であつた。)、右については、実質的な内容に立入つた事前折衝は全くなされていないこと、右申請はその頃許可されたこと、しかるに本件の一一月一三日の昼と夜の集団行動については、一一月一〇日の午後四時頃渕上保美(前記実行委員会事務局次長)が集会係長茂垣之吉を訪れ、「一三日は全国実行委員会が単独で集会デモを計画していたが、安保条約破棄中央実行委員会と共催することに計画が変わつた。そして、昼間の分については、前の申請を生かすが、デモコースを変えて明治公園までにしたい。夜の分は、会場を明治公園とし、行進コースは、明治公園から国会を通過し土橋までの分と同公園から新宿、渋谷までの三本にすることで、申請をし直したい。しかし、中央実行委員会との連絡会議が終つていないので細かい打合が出来ていないので、それが出来たら改めて申請書を出したいが、どうだろうか」と相談したので、茂垣係長は右の申出を上司の課長、部長に伝えたところ、「計画が変つたのなら便宜を計つて差上げよう」ということになり、その旨を渕上に伝えたこと、翌一一日の午後二時頃渕上が集会係長茂垣を訪れ、「昼の分も、会場が明治公園に変つた。行進コースも明治公園から三本のコースに変つた。夜の分については、最終的な打合せが済んでいないから、取敢えず昼の分だけ申請書を出したい。」といつて、同所で申請書を作成し、所轄の四谷警察署に持参提出したこと、そして夜の分については、同日午後五時頃前記上本が集会係長茂垣を訪れ、「連絡会議ではこの様になつた」といつて、申請書を同所で作成したこと、なお、その際参加人員が多いから隊列を八列位にしたいとの申出があつたので、茂垣は、警備部内並びに関係各課と協議の結果六列を要望し、上本の納得を得たこと、そして同日午後七時頃所轄の四谷警察署に右申請書が提出されたこと、右一三日の許可申請書は、既に許可済になつていた当初の許可申請を取り下げて改めて申請されたものであつて、翌一二日いずれも主催者側の申請どおり許可されたこと、右折衝に際しては申請者側に対し強制、威圧を加えるような事態は全くなかつたことが認められる。右認定によれば、主催者側が国会周辺道路における集団示威運動を申請する意思があつたのに、集会係がこれに強制、威圧を加える等して集団行進に変更を余儀なくさせた事実は勿論のこと、自主的変更を要望した事実さえ全くこれを認めることができない。この点に関する原判決の認定は事実を誤認したものである。原判決は、集会係において、右変更を余儀なくさせたことの根拠として、一一月五日に実施された集団行動の許可申請に関与した佐竹昭生(東京地評書記)も、事前折衝において同様に自主的変更を勧告された旨、判示しているのであるが、原審証人茂垣之吉の証言、本件記録中の「昭和四〇年度、デモ行進に伴う違法状況(反代々木系学生を除く)」と題する書面によれば、一一月五日実施された東京都反戦青年委員会主催の集団行動については、右佐竹昭生らにおいて一一月二日(すなわち、前記一括申請がなされた翌日)茂垣係長を訪れ、事前折衝をしたこと、また、その際同人らが当初希望した集団行動のコースは、日比谷公園から国会議事堂正門前に至る径路を含んでおり、前記一括申請された本件の一一月一三日のそれとは異つていることが認められるから、同人らが自主的変更を要望された事実があるからといつて、本件の一一月一三日の集団行動についての前記事前折衝の場合においても同様であつたと推認するのは、早計に失し誤りであるといわざるを得ない。

なお、事前折衝においては、右集会係において、国会周辺道路上の集団示威運動並びに集団行進に関し公安委員会の前記方針に基づいて、主催者側と交渉し、右方針に従つた要望をしていることは、前記認定のとおりであるが、公安委員会の右方針、即ち、「国会開会中においては国会周辺道路上における集団示威運動は許可しない」「国会議事堂が道路によつて囲まれる三角形の三辺のうち、二辺以上を通る集団行進は許可しない」ということが、憲法二一条又はその趣旨に違反しないかの問題が残るけれども、この問題について論議することが、本件事案の解決につき無用であることは、冒頭に説示したとおりである。このことは、本件各条件付許可処分において許可されている。明治公園から新宿、渋谷までの集団示威運動の各道路上において、本件で問題とされているのと同様の許可条件違反行為が敢行された場合を考えれば、尚更明白であろう。それ故、当裁判所は、右問題については判断を差し控えることとする。

三集団行動の定義について。

原判決は、「昭和三五年一月二八日付警視総監通達によれば都条例にいう「集団行進」とは「多数の者が一定の目的をもつて集団的に行進するものをいい、たとえば野球の祝賀行進のようなものである。」としまた「集団示威運動」とは「多数の者が一定の目的をもつて公衆に対し気勢を示す共同の行動」をいうと概念規定をし、そこから本件集団行動をコースの途中において前半は「集団示威運動」、後半は「集団行進」として許可がなされ、後者については、「旗、プラカード、のぼり、横断幕、その他これに類する物件の携行または着装する等示威にわたる行為をしないこと」「放歌、合唱、かけ声、シュプレヒコール等示威にわたる行動は行なわないこと」という許可条件を付することによつて示威の要素を除き、同時にそのことがいわゆる「行政相談」ないし「事前折衝」という名の事前抑制の場において、国会周辺等における集団示威運動を禁止するという運用に役立てられている事実は、おおうべくもない。元来、集団行進は政治、経済、労働、世界観等に関する何等かの思想、主張、感情等の表現を内包し、一般大衆に訴えんとするものである以上、プラカード、のぼり、横断幕等思想、主張、感情等を表現する手段となる物件の携行または着装は、集団行進の実質的要素ともいうべく、これらをすべて許可条件に結びつけて禁止することは、表現の自由自体を否定するにも等しい。都条例一条は、集会若しくは集団行進については「道路その他公共の場所」といい、集団示威運動については「場所のいかんを問わず」といつて、規制の対象たる場所の範囲を区別したに過ぎない。これを根拠として、示威的要素を抜き去つたものが集団行進で、示威的要素を伴うものが集団示威運動であるとする解釈は、全く取締の便宜のための恣意的なものといわざるを得ない。集会、集団行進、集団示威運動の三者は、部分的に重なりあう概念として把握されねばならない」旨判示している。(原判決書三八ないし四〇頁)

しかしながら、本件で問題とされているのは、明治公園から永田町小学校裏に至る道路上における集団示威運動に際しての許可条件違反行為であつて、国会周辺道路上における集団行進に際しての許可条件違反行為ではないこと、前段説明のとおりである。従つて、本件事案の解決には、集団行進と集団示威運動の差異の如きは、これを論議する必要は全く存在しない。原判決の右判示は、本件においては無用の判示というの外はない。当裁判所は、原判決の「示威的要素を抜き去つたものが集団行進で、示威的要素を伴うものが集団示威運動であるとする解釈は、全く取締りの便宜のための恣意的なものといわざるをえない。」との見解には、一概には賛同しかねることを一言するに止める。

四実力規制等について。

原判決は、交通秩序維持に関する条件違反の集団示威運動の参加者に対する機動隊員による規制について、「条件違反の直後に併進、圧縮規制が行なわれており、また条件が一般的網羅的であることから、いかなる規制も適法な職務執行と判断され、従つて参加者はサンドイッチ規制をも甘受せざるをえず、国家の包摂した表現の自由の奇観を呈する危険がある」旨判示している。(原判決書四五頁、四六頁)

しかしながら、本件において機動隊による併進、圧縮規制がなされたのは、被告人らの所属梯団が、本件各許可処分に付与せられた「だ行進をしないこと」「ことさらなかけ足をしないこと」(被告人畠山、同有賀関係)、「だ行進をしないこと」(被告人吉田関係)という条件に違反したので、これを規制するためになされたものであり、本件各集団示威運動に参加した、右条件に違反しない他の多くの梯団に対しては、なされていないことが本件記録上明らかであるばかりでなく、原判決のいうサンドイッチ規制も、本件においては、被告人らが既に現行犯逮捕せられた後に生じた現象であるから、本件における被告人らの罪責の有無即ち本件事案の解決には、サンドウイッチ規制の当否を論議することは全く無用である。

また、原判決は、「公安委員会は許可処分において細大もらさずあらゆる条件を付し、集団行動の規制にあたつてはあらゆる条件の違反を理由として規制を加え、起訴にあたつては訴因を、疑問の余地のない条件違反の事実に限定するならば、残された条件違反の論点はすべて回避され、許可手続の実態や許可処分の内容全般は裁判所の判断の埓外に逸し去つてしまう。裁判所は国家権力が濫用されないよう監視する義務を負つている」旨判示している。(原判決書五一、五二頁)

しかしながら、本件において被告人らの所属梯団が機動隊の規制を受けたのは、前記許可条件に違反したためであることは、前段説明のとおりである。

しかるに、原判決は、本件において、機動隊が、右許可条件以外の如何なる条件違反を理由として規制を加えたかに何ら触れるところがない。原判決は、抽象的に「集団行動の規制にあたつてはあらゆる条件の違反を理由として規制を加え」というのみであつて、具体的に、本件で問題とされている条件以外の如何なる条件違反を捉え違法不当に実力規制が加えられたかについて、何らの論証をしていない。原判決の右判示は、本件の具体的事件を離れた単なる観念論に堕したものであるというの外はない。

第二条件に関する問題点について。

一、条件付与の基準について。

原判決は、「前記最高裁判所大法廷判決が都条例の立法技術上のいくらかの欠陥を認めながらも、なお条例全体の精神を実質的に考察したうえ、本条例をもつて合憲と判断した本旨にかんがみれば、三条一項但し書は、本文をうけ、これと相まつて、全体としてはたらいているものと解釈しなければならない。すなわち、そこに付せられる条件は、無条件の集団行動を許すならば、公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合にかぎり、その限度において付しうるに過ぎないものといわなければならない。これまさに、集団行動における表現の自由の内在的制約の限界点であり、右判例にいうところの公共の福祉との接点に位置するぎりぎりの問題である」旨判示している。(原判決書、四六、四七頁)

よつて按ずるに、本条例三条一項但し書は、いわゆる行政行為の付款であつて、集団行動の許可に付随してその一般的な効果を制限し、特別の作為、不作為の義務を命ずるものであり(同条但し書六号は、単べる付款ではない。)、右条件は、公共の安寧を保持するという本条例の目的の範囲を逸脱することが許されないことは当然であり、また付款の性質上、必要最少限度のものでなければならないことはいうまでもないところである。しかし本条例自体は、如何なる場合に条件付与ができるかの基準を明示していない。これについて、原料決は、公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」に、はじめて条件が付与できると解しているが、本条例三条の法文自体から明らかなように、右は、集団行動が不許可とされる場合の要件であつて、条件付与の場合の基準ではない。

集団行動の許可申請に対する公安委員会の措置としては、①無条件許可②条件付許可③申請内容に対する変更条件付許可④不許可と段階的に考えられるが、右措置のうち、先順位のものでは到底実効を期し得ないと認められる場合に、後順位の措置が許されるという、いわゆる警察比例の原則が適用されるものと解すべきである。従つて右④の不許可の要件が最も厳しく、③②と段階の異なるに従つてその要件が緩和されていくのが道理であつて、原判決のいうように、条例上不許可の場合の要件と条件付許可の場合のそれとが同一であるべきであるというのは、論理的ではない。そして、本条例三条の許可に付与される条件は、集団行動の自由とこれによつて直接侵害の危険にさらされる反対利益との矛盾、衝突を調整する手段として機能し、集団行動がその本来の姿であるべき平穏裡に秩序を維持して行なわれることを担保するために付与されるべきものであるから、公共の危険の発生が明らかに認められる場合は勿論、このような危険発生の虞れのある場合にも、またその予防のためにも必要最少限度の条件を付与することが許されると解すべきである。このように解しても、前記大法廷判決の趣旨に反するとも考えられないし、むしろ、同判決が「表現の自由を口実にして集団行動により平和と秩序を破壊するような行動またはさような傾向を帯びた行動を事前に予知し、不慮の事態に備え、適切な措置を講じ得るようにすることはけだし止むを得ないものと認めなければならない」と述べている趣旨に添うものと考えられる。それ故原判決の前示見解は狭きに失し誤りであるというべきである。

二、条件の内容について。

原判決は、「本条例三条一項但し書にいう「必要な条件をつけることができる」という規定に基づき、道路における集団示威運動の許可に付随してなされる条件は、集団示威運動の自由に属すべき、隊列(隊伍の幅、長さ、梯団の人数)、方法(だ行進、うず巻行進、いわゆるフランスデモ、シュプレヒコール、旗ざお、プラカード、宣伝カー)その他あらゆる事項にわたつているのであり、それが違反の集団示威運動の主催者、指導者又は煽動者を果して五条に定めた懲役若しくは禁錮又は罰金に値する程の禁止事項にあたるかどうかの考慮を払つたものとは到底考えられず、都条例五条との関係からみれば、その全部の条件が、現実において完全に遵守された集団示威運動が一体あるであろうか。右条件を許容するかぎり、すべての集団示威運動の主催者、指導者、煽動者は、前示刑罰を科せられても止むを得ない危険な事態にさらされているとの結論に達せざるを得ない。一体現実に行なわれる道路における集団示威運動が、すべて条件違反であり、その主催者、指導者、煽動者は、刑罰法令に触れるものとされていることを思うとき、現在のごとき運用は、条件付与の部分において、もはや、合理的必要最少限度の範囲内で道路における集団示威運動が制限されているにすぎないといえないことが明らかである」(原判決書四二ないし四五頁)と述べ、更に「本件の許可に付せられている多数の条件をながめるとき、そこには必要最少限度をこえた大小さまざまの条件が付せられており、そのなかには単なる注意事項に過ぎない類のものが混在している。例えば、行進の隊列しかり、一梯団の人員しかり、発進、停止その他行進の整理のために行う警察官の指示に従うことしかりである。しかして、それらが無差別に条件違反ありとして規制の理由となるごとく現に解釈運用されており、またその余地があり、最高裁判所大法廷が本条例を合憲であるとした条例の真の精神を超過した解釈運用がなされていることは、当裁判所としてとうてい看過しえないところである」旨(原判決書四七、四八頁)述べている。

よつて按ずるに、本件各集団示威運動についての前掲条件付許可書謄本によれば、「交通秩序維持に関する事項」として1から7までの条件が付与せられているが、その中、集団の隊列を五列ないし六列に制限するのは、道路上における集団をほぼ一車線の幅で進行させることによつて他の車両等の交通が阻害されるのを防止するためであり、一梯団の人数、長さの制限も、指導者の指揮、統制の及ぶ限界を設定し、また交差点通過時における他交通機関に対する障害を除去して交通渋滞をなくさせるためのものであり、これを、道路幅一杯の隊列を組み、或は数百メートルにわたる梯団が、切れ目なく行進を継続した場合等に思いを致し、特に輻輳を極めている都内の道路事情、交通事情を併せ考えれば、以上の条件が、交通の安全と秩序を維持するために遵守されなければならない必要最少限度の制限を超えたものとは認め難く、原判決のいうように単なる注意事項であるということはできない。また、だ行進、うず巻行進、いわゆるフランスデモの禁止の条件についても、それらが、直ちに道路上の交通阻害をもたらし、或はその危険を生じさせ、時としては不慮の事故発生を伴う虞の大きいことは疑問の余地のないところであるから、これまた必要最少限度の制限を超えたものということはできない。さらに、旗ざお、プラカードについては、これらの携行自体が全面的に禁止されているものではなく、危害防止並びに交通秩序維持のために「一人で自由に持ちあるきができる程度のもの」に制限したものと認められる。なお、原判決は、シュプレヒコールも許可条件の中に含まれているように判示しているが、この点は、原判決の明白な誤りである。してみれば、以上のような条件遵守の実効を期するため、条件違反の集団行動の指導者らに対し本条例に定める程度の刑罰をもつて臨むことは、必ずしも不当であるとは考えられない。尤も、右条件の中には、原判決もいうように、単なる注意事項に過ぎないと認められるもの、例えば、「発進、停止その他行進の整理のため行なう警察官の指示に従うこと」というようなものが、一、二あるけれども、このような条件は、本来平穏に秩序を重んじてなさるべき集団示威運動においては当然遵守さるべき事柄でるから、かかる条件を注意的に許可条件の中に入れたからといつて、原判決のいうように、「最高裁判所大法廷が本条例を合憲であるとした条例の真の精神を超過した解釈運用がなされている」と非難するのは相当でない。また、右1から7の条件を見ても、原判決のいうように、あらゆる事項にわたつて条件を付しているとはいえず、全体として本件の集団示威運動の自由を不当に制限するものとはいえない。これを要するに、本件においては、原判決がいうような、「最高裁判所大法廷が本条例を合憲であるとした条例の真の精神を超過した解釈運用がなされ」た事実は、これを見出し難いといわねばならない。

三ことさらなかけ足行進について。

原判決は、「被告人畠山、同有賀に対する公訴事実中の「ことさらなかけ足行進」と目すべき行為というのは、公訴事実記載の日時、場所において、被告人両名が先頭列外に位置してピイピイと笛を吹くなどして、梯団が小刻みに足を交互に上下し、ワッショイワッショイもしくは日韓反対と唱和しながら気勢をあげる行動をしたことを指称していることが、証拠により認められる」と判示している。(原判決書二七頁)

しかしながら、原審証人塙登、同岩川藤吉郎の各証言によれば、公訴事実記載の日時、場所における「ことさらなかけ足行進」とは、原判決の認定ように、単に梯団が小刻みに足を交互に上下する態様のものばかりではなく、むしろ、このような態様のものは一部分に過ぎず、ほかの大部分は、通常のかけ足行進、かなり早いかけ足行進、或は非常に早いかけ足行進であつたことが認められるから、原判決の右認定は明らかに事実を誤認したものである。

次に、原判決は、本件訴因となつている「ことさらなかけ足行進禁止」の条件は、最高裁判所大法廷判決が本条例を合憲であるとした条例の真の精神を超過した解釈運用の適例であると判示し、続いて「当裁判所は、本件における右認定事実に照らし、さらに、先行梯団を追い越すとか、だ行進、うず巻行進の如く、概念が明確な形態をとりあげるほかに、「ことさらなかけ足行進」を違法とすることは、集団示威運動の表現方法の自由を狭める点において疑義があること、前示警察官である証人がいうところをみても、まさに各人各様の解釈に基づき「ことさらなかけ足行進」は結局「かけ足行進」と同義であるとし、それが都条例五条の犯罪構成要件とされることの実質的な根拠を説明しえないこと、条件としてとりあげるには、あいまい不明確で、実質的に示威そのものの禁止にわたることでもあり、とうてい憲法二一条、三一条の趣旨からみて、正当とは考えられない。右認定したところによると、被告人両名が「ことさらなかけ足行進を指導した」との点は、すでに条件自体違憲無効であるといわねばならない」旨判示している。(原判決書四八ないし五〇頁)

よつて按ずるに、原判決の右判示は、前段説明のように、本件の「ことさらなかけ足行進」の態様について誤つた認定をし、これを前提としているから、既にその点において失当であるといわねばならない。のみならず「かけ足行進」の語は、日常用語として極めて熟しており、原判決のいうように不明確とはいい得ないし、両足がともに地面から離れる状態を伴う、通常「歩行」ないし「並足」といわれているものよりは早い歩調の行進であると解せられ、しかも「ことさらな」すなわち「正当の理由がないのに、わざと」する「かけ足行進」が禁止されているのであり、かかる「正当の理由のない、わざと」する「かけ足行進」が集団によつてなされる場合には、物理的、心理的に不安定な状態を生じ、集団構成員個々の意気の発揚を伴つて、場合によつては、集団全体の異様な気勢の昂揚をもたらし、だ行進、うず巻行進等の他の許可条件違反に発展する可能性は極めて大きく、勢の赴くところ群集心理を助長させ、時には激しい越軌行動に発展する虞があり、また集団による「かけ足行進」は、惰性を生じ、弾力性が低下するため、集団構成員が前方或は側方を通行中の車両や人その他の道路上の障害物等を避ける余裕に乏しく、これに接触して事故を発生する危険性が濃厚であること、集団が交差点、曲り角に差しかかつた場合、現実の交通状況に対応させるための制止等臨機の措置が困難となり交通秩序を混乱に陥れる虞があること、集団内で混乱を起し構成員が転倒して不慮の事態を惹起する危険があること等は、経験上明らかなところであり、しかも本件集団示威運動の進路の道路の状況、頻繁な交通事情、参加予定人員等の諸般の事情をも併せ考察すれば、叙上の危険を防止するため、集団による「ことさらなかけ足行進」を禁止する条件は、本条例三条一項但し書の条件として、公共の安寧に対する危険の発生を予防するため必要最少限度を超えたものということはできないと解するのが相当である。叙上の見解に反し、右条件が違憲無効であり、かつ最高裁判所大法廷判決が本条例を合憲であるとした条例の真の精神を超過した解釈運用の適例であるとした原判決の判断は、法令の解釈適用を誤つたもので失当であるといわねばならない。

以上詳述したとおり、本件の各集団示威運動に対する公安委員会の各条件付許可処分は、その手続及び内容においていまだ集団行動としての表現の自由を事前に抑制するものとして必要最少限度の域を超えているとは認め難いのである。従つて本件各条件付許可処分が憲法二一条に違反するとはいえない。しかるに、原判決が、本件事案の解決に不必要な事項についてまで論及した上、条件付許可処分に関する公安委員会の運用は、総括的にみて、手続及び内容において著しく取締の便宜に傾斜し憲法の保障する集団行動としての表現の自由を事前に抑制するものとして最少限度の域を超えており、かかる運用の一環として流出したともいうべき本件各条件付許可処分は憲法二一条に違反し、その瑕疵が重大かつ明白であつて、違憲無効であるとし、被告人畠山、同有賀に対しては無罪の言渡をし、被告人吉田に対しては、松山巡査らの同被告人らに対する併進、圧縮規制が適法な職務の執行とはいえないとして公務執行妨害罪の成立を否定したのは、前説明のとおり前提事実を誤認し、かつ法令の解釈適用を誤つたものであり、その違法は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、検察官のその余の控訴趣意について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。本件控訴は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八〇条に則り原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い当裁判所において直ちに本被告事件について判決をすることとする。

(罪となるべき事実)

第一、被告人畠山嘉克、同有賀哲也は昭和四〇年一一月一三日東京都新宿区霞ケ丘町明治公園において開催された原潜阻止、日韓条約粉砕全国実行委員会、安保条約破棄中央実行委員会共催の「日韓条約粉砕、佐藤内閣打倒、国会解散要求国民統一行動集会」の終了後、同公園から港区青山四丁目、同一丁目、同区赤坂見附の各交差点を経て千代田区永田町小学校裏に至る間の道路上で行われた集団示威運動に学生約一、四〇〇名とともに参加したものであるが、右学生らが右集団示威運動に際し、東京都公安委員会の付した許可条件に違反し、同日午後三時五三分頃から同四時三五分頃までの間右明治公園から港区赤坂表町四丁目一四番地赤坂郵便局前に至る道路上において一〇列ないし二〇列となつてことさらなかけ足行進、かつ、その間午後四時二二分頃から同四時三〇分頃まで同区青山三丁目交差点から前記赤坂郵便局前付近に至るまでだ行進を行なつた際、ほか数名の学生と共謀のうえ、被告人らにおいて終始右学生隊列の先頭列外に位置し、先頭列員が横に構えた竹竿に両手をかけて引つ張り、あるいは隊列に正対して笛を吹き、手をあげ、かけ声をかける等して右ことさらなかけ足行進、だ行進を指揮し、もつて右許可条件に違反した集団示威運動を指導したものである。

第二、被告人吉田英一郎は、昭和四〇年一一月一三日前記明治公園において開催された原潜阻止、日韓条約粉砕全国実行委員会および安保条約破棄中央実行委員会共催の「日韓条約粉砕、佐藤内閣打倒、国会解散国民統一行動集会」の終了後、同公園から港区青山四丁目、同一丁目、同区赤坂見附、千代田区平河町の各交差点を経て同区永田町小学校裏に至る間の道路上において行なわれた集団示威運動に参加し、日本社会党東京都本部、同党東京都内各支部員、日本社会主義青年同盟員等約四五〇名からなる第一梯団に加わつていたものであるが、同日午後七時四三分頃港区赤坂表町三丁目七番地先道路上において、右隊列が東京都公安委員会の付した許可条件に違反し、約八列となつてかけ足だ行進を行つたので、警視庁第二機動隊第一中隊所属巡査松山一紀らにおいて第一中隊長警部長塚正治の指揮により右隊列の右側から二列縦隊で併進規制して制止中、いきなり右足で右松山巡査の左大腿部を一回蹴りつけ、もつて同査の職務の執行を妨害したものである。

(証拠の標目)<略>

(累犯前科)

被告人吉田英一郎は昭和三五年七月二二日横浜西簡易裁判所において窃盗罪により懲役一〇月に処せられ、その頃右刑の執行を受け終つたものであり、右事実は同被告人に対する前科照会書によりこれを認める。

(弁護人の主張について)

都条例が憲法二一条に違反する旨の主張の採用できないことは、前掲大法廷判決の示すところであり、また、都条例が、条件を付することを許容し、これに違反したものを処罰することは白紙刑法であつて憲法三一条に違背する旨の主張の採用できないことは、昭和四四年一二月二四日最高裁判所大法廷判決(刑集二三巻一二号一六二五頁以下)の示すとおりである。さらに、都条例四条は、警察官職務執行法五条の範囲を超えているから憲法九四条に違反し無効である旨の主張は、都条例四条と警察官職務執行法五条とは、その規定の目的趣旨と規制の対象を異にしていることが明白であるから、採用できない。

(法令の適用)

一、被告人畠山、同有賀に対し

1 刑法六〇条、昭和二五年東京都条例四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例五条、三条一項但し書(被告人畠山については懲役刑を、被告人有賀については罰金刑を選択する。)

2 刑法二五条一項(被告人畠山の執行猶予につき)

3 刑法一八条一項(被告人有賀の労役場留置につき)

二、被告人吉田につき

1 刑法九五条一項(懲役刑を選択する。)

2 刑法五六条、五七条(累犯加重につき)

3 刑法二五条一項(執行猶予につき)

三、被告人三名に対し

刑訴法一八一条一項但書(原審および当審における訴訟費用の免除につき)

よつて主文のとおり判決する。

(井波七郎 足立勝義 丸山喜左エ門)

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